この曲を聴け!
JUDAS PRIEST
YOSI ★★ (2001-11-23 23:29:00)
PRIESTの音楽性について僕の意見
PRIESTは自他認めるHMの権化だが、しかし彼らが作ってきた曲の少なくとも半分はHRあるいはロックンロールと分類されるべきだ。日本のメタルファンはHMとロックンロールを別物として扱い、ファン層も違うことが多いが、PRIESTはHMの創造者であるがゆえに逆にそれ以前の“ロック"からの流れを受け継いでおり、だから僕は彼らを勝手に正統派メタルなどと狭い枠でくくりたくない。僕の中で彼らは、本当の意味でのプログレッシブ(進歩的な)ロックをやるバンドであり、ロック本来が持っている雑食性・格好いい音ならなんでも取り入れる良い意味での節操のなさこそ彼らの本当の武器だ。
この視点でPRIESTの全アルバム、全楽曲を聴きなおすと純然たるHMしか聴かない人には単なるかったるい曲でしかない曲も、広い視点でロック全般あるいは他のジャンル(ポップス、ブルース、テクノ、ヒップホップ、フォーク、ジャズ、ヒュ-ジョン等)も聴ける人には格好良さが理解できるし、事実僕は彼らの曲は1stを含めほぼすべての曲を気に入ってる。
彼らが考えるHMの定義とは、多くのメタルファンが考えるほど狭いものでも厳密で堅苦しいものでもない。彼らはとにかく貪欲に新しい格好良い音を求めて思考錯誤を繰り返し、その産物として今多くの人間がHMとして認識する音楽が生まれたが、彼ら自身はまだHMの様式(日本人のいう様式美とやら)は完成されていないと考えているから、過去の自分達の音に拘らないのだと思う。どんなジャンルでもそうだが過去の栄光にすがるのは凡人であり、終わったバンドだ。昔の彼らの音を懐かしむ声はファン・ミュージシャン・評論家を問わず多いが、彼らは何も分かってない。彼らから進歩、進化、変化といった要素を奪えばなにも残らない。バンドに死ねというようなものだ。進化することで数々の名曲を生み、HMを創造した彼らがもし進化しないバンドであったら彼らは途中で消え去っていただろうし、HMも生まれていない。大体現在のPRIESTの音楽性を否定する意見を見聞きすれば、その多くは彼らの音楽性を誤解していることが多く、PRIESTの歴史を追うことなくつまみ食い的に何枚かの昔のアルバムを聴いて分かったつもりになり、それらと今の音が違うので単純に否定しているだけだと思う。逆にPRIESTの全アルバムを聴きこみ、それでも現在を否定するならそれは単にその人がPRIESTが嫌いだということだ。
まず理解すべきなのはPRIESTというバンドは、他の多くのバンドのように一部の曲、アルバムを聴いただけではその全体像は把握できない複雑なバンドであり、この1曲で全てが理解できるというバンドではない。その証拠がこのHPでもわかるように余りにも多彩な推薦曲の多さだ。また多くの人がNo.1ソングとしてあげる“THE HELLION/ELECTRIC EYE"にしてもこの曲を聴けば誰もがPRIESTの凄さを理解するであろう事は推薦者の方々と同意権だが、ではこの曲を聴いてファンになり彼らの他の作品から同様な感動を探そうとしても、他ににた曲はほとんどないので混乱するというのは多くのファンが経験あるんじゃないかと思う。これは“PAINKILLER"にしても同様だ。多くのファンがこれらの曲をもう一度作ってくれとか、なぜ新作には“PAINKILLER"が入ってないんだとか言ってるが、そんなこと言ったって彼らの歴史はそんな事したことがないし、逆に過去の焼き直しに走らないのが彼らの凄さで、過去には存在しないタイプで過去の名曲と同等のクオリティの曲を作りつづけるのが彼らの目標なんだろう。よくB!!誌のインタビューで最近のPRIESTは彼ららしくないよとか昔の彼らの曲みたいのを作るべきだよとかいうバンドやミュージシャンがいるが、そんな簡単にいうならじゃああんたらが作れよと言いたくなる。PRIEST系とか正統派とかいうものがかつてのPRIESTの名盤、名曲に匹敵するものを作ったためしはないし、また作った当事者であるPRIESTのメンバ-にとっても焼き直しではない第二の“PAINKILLER"やそのほかの名曲などそう簡単に作れない。簡単に作れる名曲なんて実は名曲ではない。だから彼らはあらたな要素を取り入れ、新たな名曲を生んでいるのだ。以上長い文章で申し訳ない。
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