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『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。

YOSI(実家) (2004-08-21 03:15:00)
僕もひとつ意見を・・・。私の一昨年なくなった祖父(同居していました)は戦争をリアルタイムで体験しています。軍人でした。それも陸軍憲兵で、陸軍中野兵学校なんてところを卒業した情報将校で、軍では暗号解読を担当。日中戦争時は満州に、太平洋戦争時にはシンガポール上陸に参加し、司令部で内地との情報伝達を行い、敗戦後は戦犯としてイギリス軍に軍事法廷にかけられ、幸いにも何年かラバウルだったかの刑務所に入り、だいぶ遅れて帰還した、かなり波乱万丈の人生を送った人です。僕は子供のころから結構戦争中の色んな話を聞きました。そしてその内容が、かなり教科書や本で学んだ内容と違うことを感じてました。ちなみの僕はよく、祖父とそれで喧嘩しました。つまり教科書や本にある、日本があの戦争で一方的に悪で加害者的立場であるという考え方、悲惨で最悪な戦争を二度とくりかえしてはならないという自虐的、反省的立場とはかなり違い、僕は祖父はかなり過去を美化しているのではないかと思い、よく議論になりました。今僕が祖父の意見を思い出してみると、よく言っていたのは、
「あの戦争が良いとか悪いとかいうのは無意味だ」
「あの時代において、国民も、政府も別に侵略戦争がやりたかったのではない」
「周囲から経済的にも資源的にも孤立、圧迫させられ、その状況を打開するためには、嫌だけど戦争をせざるを得なかった」
「具体的には、日本にはない石油や鉄鉱石などの資源を確保するために東南アジアや
満州を必要としたが、その利権を確保する途上でアメリカやイギリスと利害が衝突した」
「それらを得るために戦争という手段に訴えたことは過ちだったと思う」
「しかし、それらの国々にはすでに欧米諸国が植民地化することで、先に支配していた。まだ欧米諸国より、同じアジアの国の日本が進出したほうが良かったのはないかと当時は考えていた」
「戦争自体は過ちだし、罪は罪だが、結果論として、あの戦争が東南アジア諸国を諸国から開放することにつながったともいえないか?」
「日本を非難する国も今でも多いが、しかし東南アジア諸国の国には今でも親日的な国もたくさんある。」
「少なくとも自分は(祖父)はシンガポールなどにおいて、非道な行為はやっていないし、またそれだからこそ、死刑や極刑にはならなかった」
「軍事法廷においては、現地の人々の証言をもとに、人道的に許されない行為を非戦闘者、一般人に加えていた人間、軍人は裁かれていたが、自分は職務(情報伝達)に一生懸命になっていただけで、それが罪といえば罪だが、しかし人道にそむく行為はしてないから重い罪でなかった」
等々です。そして意外に感じられるのは祖父がこれらの思い出をすごく楽しそうに話すことです。(僕がいちゃもんをつけるまでは)
今僕が思うのは、祖父にとってあの時代というのは、悲惨なだけの時代でも、悪に満ちた時代でもなく、もちろん美化できる美しい時代でもない。ただ一生懸命生きただけの時代であり、そして青春時代を一生懸命生きた思い出は、とても懐かしいものであるということ。それを知らない僕は、冷静に時代の、国の善悪という大きな見方で考えてしまいがちだけども、それだけでは語れないものなんだと。
ようやく最初の神風特攻隊とテロの違い、というのになるんだけど、もっと単純化して考えることもできるのでは。彼らは国家のためとか、天皇に対する忠誠とか、宗教的理由とか、それらもあるんだろうけど、ただただ仕事を一生懸命にしようとしていた、という風にいえるのでは。死ぬくらい一生懸命なんて変!といえるかもしれないけど、今だって仕事に一生懸命で過労死したり、責任をとって自殺したり、勉強に根をつめて死ぬ人だってたくさんいる。その延長線ともいえるのでは?と考えてみたり。
僕はあの戦争を肯定する気は全くないです。しかし祖父の生きた時代を全否定することもない。少なくとも今は。戦争で直接人を殺しているであろう、それを直接語ることはなかったがそれを思わせることをいっていた、その祖父が悪人では全くない、非常に優しい人間であった。
祖父は言っていました。「ただ生きて日本に帰りたかった。そのために戦った」と。