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読書とは即ち、書を読むことなりよ(らくがき帳)
k.s.m.2 (2005-12-09 22:28:00)
もしかして、年長の方ですか? 偉そうだったら済みません。

パンクスですか(笑:違)反抗するのには「別の路線を進むことで、その問題は
回避できる」ということを知ることが、最大の必要条件としてありますからねぇ。
これに限らずですが、私にとっては刑法未成年期に体験したことの裏打ちとしての
作家だったりします(『合言葉は勇気』は未読:レビューしてほしいです~)。
身体から出てくるものを自分なりに位置付けることを生業とする作家である以上、
自己実現のため、という方向性は橋本にとって無意味な言葉な気もします。

年長者に同化:大人というのは、物を知らない人間に具体的なアウトラインを
示せて、相手が“知らない"ということを寛容できればよい、と思っています。
その場の目的を忘れる大人はただの暴君ですからね……。自分の仕事に加えて
そこまでやるには、相応のポテンシャルが要るとは思いますが。

説得力:ここまで踏み込んでしまえる方を相手になら、多少の論戦も……許され
るといいなぁ。
二つの挙げられ方ですが、私は『前者』は少々モデルとして単純化し過ぎだと思います。
橋本の著作でもそうですが、彼が玲奈のようなガールフレンドを持っていたり、男の先輩と
色々しちゃったのをちゃんと記憶しているからこそあの作品に説得力が(あるなら)ある
わけで、専門家の力というのは押並べてそこにこそあるはずです。
つまり、実体験と詳細な知識の両方を持つからこそ、ことの本質というものを見る気があれば
見られる、という。(無ければ(よく言う)『机上の空論』になりかねない)
現在の地位や、そこに至るための努力というものを“説得力の源"としてしまえば単なる
『権威主義』でしょうが、『ことの本質を捉えるために必要な経験をし、かつそれを適宜
思い出して論理だてられる』人間にしか説得力というものは持ち『得』ない。
(つまり、挙げてくださった例は、比較の双極にするには矛盾を孕むのではないか、と
言っているわけですが……)
そして厄介なのが、そこにある『必要な経験』を認めない相手に、自分が解決したい問題
が相手にも共有されていることを示せるかどうか。大抵無いことにされるので、ほとんど
欺瞞と擬態で捻じこまないといけない気がしますが。
ある意味、この技術の達者さ故に『売れないのに生き続けている作家』であれる(可能形)
橋本は、自分の経験からの教訓で動きたい人間にとって、仮想敵である可能性もありますね。
「仕事ができることとは『自分は洞察に必要な経験を積んだんだ』と言えるということで、
そのステップを踏めていない人間には異議・異論なんか言う資格は無い」という言い換え
(レス66 L8引用から)をされたら、若者は耐えるしかなくなってしまいます、よね?(*)

ちなみに、こんなのは全然「正論」ではないと思いますよ(^^;
「89」自体、知人(量的には私の数倍の読書家)に勧めても、理解不能と言われたり、
ひどく面白がられたのに教訓にしてもらえなかったり、ですし。
(*):だから私は、臨場感とその場で急遽掻き集められる知識とだけで可能な洞察の
方法論を示してくれる作品の方が好きなのですが。
かくいう私が「89」を読み込んだのも、そもそもは性欲論の為だけだしなぁ……。

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