1991年9月24日、DGC Recordsよりリリースされた2ndアルバム。
1stアルバム『Bleach』をリリース後ほどなくして、技術的な問題からKurt CobainはドラマーのChad Channingを解雇する。その後、オーディションを経てDave Grohlをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。1990年に、メジャーレーベルであるGeffen Records(DGCは子会社)と契約。バンドは次のアルバム制作に入った。
1990年から1991年にかけて録音された。プロデューサーはButch Vig、ミキサーはAndy Wallaceがそれぞれ担当。より広い層にアピールするようボーカル/ギターを強調し、またラジオオンエアの際によりクリアに聴こえるように中音域に音を集めたミックスとなった。また、ヒット曲「Smells Like Teen Spirit」から始まる楽曲もメジャー市場を意識したものからアンダーグラウンド寄りのものまでバランスよく収録されている。因みにこのようにそれまでのアンダーグラウンド重視からポップな曲作りが行われるようになったのはGeffen Recordsとの契約時の「トップ30にパンクを入れる」という発言などからカートがこのアルバムをヒットさせることを意識していたことが理由として挙げられる。
アルバムはヘヴィメタルファンからロック/ポップのファンまで幅広いリスナーを獲得するに至った。1992年1月11日にはBillboard 200においてMichael Jacksonを引きずり降ろして全米1位となり、驚異的な売り上げを示した。シアトルのローカルバンドに過ぎなかったNirvanaを全米トップの人気バンドへと押し上げ、グランジ/オルタナティヴ・ロックムーブメントを全米に広げた。その一方で、メジャー市場を意識した作りは後のNirvanaの活動に影を落としてしまうこととなる。特にボーカルのKurt Cobainは完成当初は、サウンドプロダクションも含め非常に気に入っていたものの、この成功を快くは思っておらず、1993年のインタビューでは「今では全く聴いていない」と語るなど、度々本アルバムを嫌悪・否定するような発言を繰り返している。このKurtの態度は、後にアンダーグラウンドへと回帰した『In Utero』を生むこととなった。
Kurtの自殺によるバンド解散後もアルバムは売れ続け、2014年までに世界で3,000万枚のセールスを記録している。
Recorded:April 1990, May 2, 1991–June 1991, Sound City Studios, Van Nuys, California Smart Studios, Madison, Wisconsin, United States
Producer:Butch Vig