CHICAGO の所で JASON SCHEFF を若造呼ばわりしてしまいましたが、彼のプロデビューは遡ること4年前の本作で実に当時19歳、しかもメインのKEANE兄弟は更に年下! ギタリストと前任のベーシストだけが一回り上のオジサンだったって。 そんなことより、本作は KEANE のバンドとしての2ndでありラストアルバム。1stに比べて楽曲はよりシンプル且つパワフルになった印象で、成長の跡が伺えます。TOTOの弟分という触れ込みでデビューした当初よりもTOTOに近付いたカナ? 当然ながら JASON加入後の CHICAGO のような音像も感じ取れるし、なぜか人的交流のない BOSTON の香りも仄かに漂う…。こう言うとまるで良い所取りみたいに聞こえるけど、楽曲は全て TOM KEANE を中心に書かれたオリジナルです。 80年代初頭のゴキゲン&爽やか系産業ロック、AORの知られざる良作。尤も1st同様当時から日本でのみリリースだったから、忘れられていたと言う方が正しいですね。
英国のKEANEではなくて、こちらはTOM (1964年生れ、Key.) と JOHN (1965年生れ、Ds.) の KEANE兄弟がメインを張るアメリカ西海岸・LA出身の(日本で言う)AORバンドです。 まず1977年に兄弟2人で THE KEANE BROTHERS として DAVID FOSTETR のプロデュースによりデビューしアルバム2枚をリリース、その後1981年にG.とB.を加えた4人編成の KEANE を結成し、同年アルバム"KEANE"をリリース。翌1982年にB.が後々 CHICAGO のメンバーとなる JASON SCHEFF (兄弟より年長の1962年生れ)に交代して2ndアルバム"TODAY, TOMORROW AND TONIGHT"をリリースした後、兄弟夫々がソロ活動に転じてバンドは消滅。 TOM は その後も DAVID FOSTER に師事しプロデューサー、アレンジャーとしても大活躍、CHICAGO の WILL YOU STILL LOVE ME? なども手掛けていたりします。一方の JOHN はLA界隈のセッション・ドラマーとしてやはり CHICAGO などのレコーディングに参加しているとのこと。 そんな KEANE の音楽は、代表曲 TRYIN' TO KILL A SATURDAY NIGHT(邦題「ドライヴィング・サタデー・ナイト」)でお分かりのように、妙に落ち着き払ったAORではなくて、若さ溢れる(当時まだ10代だもんね、当然!)Vo.にタイトな演奏が乗った典型的なネアカ80年代ウェストコーストロック! 肝心の音源が2000年に日本の COOL SOUND から世界初CD化されて以来再発は無いようなので、コレは!と思われた向きはじっくり探してください。
TOP が81年に2枚リリースしたアルバムのうち最初の方、つまり2作目ですね。告白しますと、リアルタイムではこのバンド自体全然知らなかったです。本サイトの何処かで何方かが「おー、タイガース・オブ・パンタンなつかしー」と仰っていたのを見て知り、某店で80年代当時WARNER-PIONEERから発売された本作のCDを見掛け、そのうちコレクションにと思いつつも、実際にゲットするのは後回しになってしまいました。いや~、もっと早く聴いていれば良かった。まだ本作しか聴いていませんが、NWOBHM御三家に何ら引けを取ってませんね。80年代メタル隆盛への胎動を強く感じさせる超名盤です!
そもそも1970年発表のアルバム収録曲に過ぎず、翌1971年、当時多かったパターンで日本だけのシングルヒット曲です。"太陽は燃えている"という邦題の通り情熱的な歌詞のラブソングで、それもそのはず原曲はスペインのヒット曲。また~all of your heartと歌っていますがタイトルには of が入らないのが正解らしいです。なお、フンパーディンク自身はラテン系ではなくインド生まれのイギリス人で、ドイツの作曲家から芸名をそっくり頂戴したとの由。
1986年発表。まず 25 OR 6 TO 4 のテンポダウンしたリメイクバージョンがリリースされ、歌ってるニューシンガーは当時23歳の若造だと聞き、果たしてセテラの後釜が務まるのかと思いきや、次の WILL YOU STILL LOVE ME? でその実力を認め安心しました。違和感がないどころか、ミリオン・ダラー・ヴォイスと言われながらも、しばしばキンキン声が目立ったセテラに比べてそれが無く、むしろ日本で言うAOR路線が定着した CHICAGO にはピッタリの落ち着いた声の持ち主。本作はそんなジェイソン・シェフの初お目見え作品として押さえておきたいですね。
CHICAGO の歴史の中では最もよく知られた起死回生の一発。この作品からが俗に言う AOR路線となります。それを象徴するが如く、それまでデカデカと掲げられていた CHICAGO のロゴは、ICチップの表面に虫眼鏡で読み取れるに過ぎなくなりました。とは言えブラス・セクションもブラスロック丸出しの曲も健在ですからね。HARD TO SAY I'M SORRY に続いて出てくるアノ曲とか。でも考えてみれば、もしもこの時ブラスロックとまで決別してしまったとしたら、本当に CHICAGO は終わっていたでしょう。それはアイデンティティの放棄を意味することですから。
前作 XI のリリースがが77年9月、テリー・キャスの死が78年1月、同年3月に作り始めて10月に本作リリース。新ギタリスト&プロデューサー、アルバムタイトル&ジャケットと、シカゴにとっての初めてづくしのアルバムとなりました。既にビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をプロデュースしたフィル・ラモーンのプロデュースに加えて、何とビー・ジーズの参加もあり当時全盛のディスコサウンド、ブラックコンテンポラリーの匂いがプンプン。CHICAGO の中では異色のアルバムに映るかも知れませんが、1978年だからこそ生まれた1枚とも言えるでしょう。後により洗練された(日本で言う)AOR路線に転向する前のこの時期において、よくぞこんなアルバムを作ってくれたものです。チャートではTOP10から漏れたけど、これも今ではどうでもいいことですっ!
1976年発表、大ヒット曲「愛ある別れ」を収録する第2期シカゴの頂点とも言える名盤です。邦題は副題が付いて『CHICAGO X - カリブの旋風(かぜ)』とこれまたカッコいい! ジャケットのアートワークから別名「チョコレート・アルバム」。このジャケ絵が象徴するように、これまで以上にR&B色が濃く、しかも邦題の通り爽快感とグルーヴ感もアップしています。USチャートでは3位が最高で、Vから5作連続でマークしていた1位は逃しましたが、今となってはどうでもいいことですね。CHICAGOの作品中最も夏が似合うアルバムだと思います。