1983年8月リリース、原坊ソロ4thシングルにして初のそして最大のヒットとなりました。前年から旦那になった人の作詞作曲でアイドルっぽいポップな曲に仕上がり、発売直後に資生堂・秋のキャンペーンソングに起用されたのもラッキーでしたね。CMのコピーがまた"公私ご多忙用~"と奮ってます。終わった夏の恋をSUPREMESみたいなめっちゃ明るく軽快なR&Bに乗せて歌い始め、最後は"公私共に life is busy"となるので新たな進展に向けて進行中ということでしょう。ハッピーエンドを目指す人にとっては励みになる曲と思います。
1980年11月に"ごめんねチャーリー"と"初の"両A面・11thシングルとして発売。"FIVE ROCK SHOW"の後も時々見られるオリジナルアルバム未収録シングルです。制作中に原坊のパートが段々増えていって結局"初の"デュエットになったとは有名な話。クリスマスソングでもあります。そうそうこのサビも十分に聞き覚えありますワ、耳に残るサビですよね。"Let me try to be back to this place anyday"って完全に浮気性の台詞ですな。当時のオリコン最高位は両A面合わせて29位ながら、2年半後"ふぞろいの林檎たち"の挿入歌として使われ再評価を得ます。サザンでは五指に入る名曲と言う人がいるのも納得。
1980年6月リリース、"FIVE ROCK SHOW"の4枚目、モロにスウィング・ジャズです。歌詞は例の如くエロエロでして"女のアンタに何言われたってOK!"はOKじゃなくて○茎なのは有名な話。かと思えば間奏でLOUIS ARMSTRONG風のスキャットにサビはフランス語と何でもアリな様相です。実際ポップすぎてどこがジャズ? 大学時代ジャズ好きが先輩と同輩-互いに面識なし-2人いてそれぞれの下宿先でジャズをBGMに飲んだら必ず深酒になって二日酔いしてたり、その後出会った嫌な奴がこれまたジャズ好きだったりトラウマなんですが、サザンのこの曲は全然気になりませんね。しかしこれほどの力作にも係わらずオリコン32位、マニアックに走ったから当然の結果ですな。
今にして思うとKUWATA BANDの先駆けになったのではと思える、単独曲としてはサザンで初めて全編英語の歌詞となった曲です。と言っても1.から"type-A"だけ取り出して"Once I had a little girl~"のくだりが加わっただけですが。曲調はどうやら桑田がヴォーカリストとして最も尊敬するLEON RUSSELに寄せたブルージーなバラードにしたようです。ただ歌詞がね…vocabulary豊富な桑田も当時は英語についてはまだまだ? silly、idiot、stupidなど色々ありますよ…。
MONKEES辺りで聞いたようなイントロからしてめちゃポップ、"愛の花咲くとき"を連想させるメロディ、意外にロックしているギター、と聴き直せば良い所だらけのアルバムB面1曲目でした。"思い出をGive it to you. 心にamuse"と自身の所属事務所をさり気に登場させたり、"恋はからだごとがいい""とどのつまりはto you""恋は異なものすべからく"って、もうね、こんな歌詞がスラスラ出てくるあなたの方が異なものですよ桑田さん。
桑田氏のスライドギターで始まり"ナビスコチップスター"のCMソングになった3分半の"ふたりだけのパーティ"と1分半の"Tiny Bubbles (type-A)"をメドレーにしたつもりが纏まりきってませんね。"ふたりだけの~"の方は歌詞にdoo-wopと出てくる通りサザン流R&Bの様相で、MAXINE NIGHTINGALEの"Right Back Where We Started From (愛とは強いもの)"に似たメロディも登場しますがナイスOPテューン。ところが"Tiny~"は何と言うかそのディスりソングですか…後年のバブルを予言してた訳でもなかろうに。平均すると普通の評価になっちゃいます。
8thアルバム"ミステリー・ホテル"はまず1981年に英国でのみリリース、翌'82年に4曲も差し替えて米国でリリースされました。その差し替え曲のうちANDREW GOLDと共作した"The Power of Love"、この曲、"We've Heard It All Before"の3曲がシングルです。折しも10CCデビュー10周年、当初の偏屈ポップバンドと言われた作風はすっかり影を潜め(日本で言う)AORに変貌を遂ましたが、結果は全英でも50位止まり。時代にそぐわなかったからという評もありますがそんな筈はなく当時はAOR全盛、むしろAOR路線を行く10CCなんて"らしくない"からというのが多分的確な原因でしょう。イントロで"I'm Not in Love"を彷彿させるコーラスも入り、バンド名を伏せて聴いてみれば極上のラヴソングですよ。そして当時は英米両ヴァージョンが存在した本アルバム、2006年にUK盤をベースとして差し替え4曲を含む7曲をボートラで加えた17曲入りへ一本化して再発されています。
4人体制で最後となる1976年1月の4thアルバム"びっくり電話"に先立つシングルとして'75年11月にリリースされた"芸術こそ我が命"です。"I'm Not in Love"と同じくERIC STEWARTとGRAHAM GOULDMANの共作ですが、全体にプログレ色が一層濃厚でミステリアスなイントロからハードポップ、更にドラマティックな展開に至る構成はまさに芸術。対して歌詞はカネと女の亡者が主人公という現実的な生々しいものとなっています。全英5位、全米では83位という結果も納得ですね。
恐らく私の中では初めてそして唯一リアルタイムで記憶にある10CCの曲がコレ。適度にポップなのがお気に入りで10CC一番の名曲と思います。1977年5月リリースの5thアルバム"愛ゆえに"に先行して'76年12月にリリースされ全英6位、全米5位まで上がる大ヒットを記録した13thシングル"愛ゆえに"と邦題に関してはジョークと言うより適当。本作から正式メンバーはかの"I'm Not in Love"を作曲したERIC STEWARTとGRAHAM GOULDMANの2人だけになり、人気は維持しながらもヒットという点では失速へ向かう中で最後の快挙でした。アルバムの原題は"トリッキーに曲がった人を欺く道"とでも言いましょうか、その先行シングルもどこか引っ掛かりと一捻りある内容となっています。好きな人、好きな物事のためには無駄なことまでしてそれでも満足、実際あるあるですね。
シングル"思い過ごしも恋のうち"のB面曲かつ即刻放送禁止案件です。歌詞カードや公式では公開されていない、それもその筈ゲイを示唆するてかズバリそのものの歌詞ですから公開できませんて。聴いたら当分味噌が食べられなくなるのがミソ? 曲調はERIC CLAPTONのブルーズに倣っていると専ら評されています。確かに前半こそ個人的に"たどりついたらいつも雨ふり"や"知らず知らずのうちに""夕陽を追いかけて"を連想、突然"Auld Lang Syne"まで登場し驚きましたがエンディングの展開はかなり本格的。この闇鍋感に意識混濁しながらラストの名バラードに繋がる曲順が絶妙です。
シングル"いとしのエリー"のB面として最初に発表されたTYPE.3を含めTYPE.1~3が存在するうちのTYPE.1。当時のアナログLP盤で言うとA面ラストの5曲目に収録、エンディングでBEATLESの"Back in the U.S.S.R."に倣ったと思われる飛行機の効果音が入ります。ジャンルとしてはその方面の第一人者をゲストに招いてブラスを多用したディキシーランドジャズとのこと。昔出会った嫌な奴らが聴いてたジャズとクラシックを普段は避けている私でも、サザンが演るならまぁいいかと思って聴き直してみたら楽しいことこの上なし、これぞ桑田マジックの呪文の効果というものでしょう。なおTYPE.3は歌詞が同じで飛行機の音は無しというヴァージョンです。
1979年4月リリースの2ndアルバム・オープニングテューン。イントロのピアノが期待感を掻き立て、WOLFMAN JACK風の小林克也の語りをリスペクトしつつ真似た桑田氏のD.J.などもう桑田氏と同じラジオ少年だった身には堪らない演出です。"Don't let me down"はお馴染みBEATLESまんま、"いっさいがっさいあなたに見とれて"はBEACH BOYSの"Surfin' U.S.A"中~inside outside U.S.Aをパロった歌詞ですね。"今宵5時まで~"の通り心地よいメロディは本当に早朝5時まで聴き続けられそうです。
LEON RUSSELLと1976年当時の妻MARYによるハッピーソング"Rainbow in Your Eyes"を和訳したタイトルです。R&B的な要素もあったこのUSシンガー&ソングライターに対するリスペクトが表れたブルージー、またはジャジーな曲調で構成されていますが、歌詞までオリジナルに反してややネガティヴになってしまってます。確かに好きな人は好きでしょうね。
いやいや、桑田にしてみれば自分を育ててくれた茅ヶ崎を讃えている曲ですよ。今やネット、ウェブに常識、敬意、親切、感謝を期待するなというのが"常識"らしいですが、せめて音楽の評価ぐらい公正、正当にいきましょうや。ん? 当時のサザンの音楽自体が常識外れ? 事実ですがそれを言っちゃぁおしめぇよ。2ndシングル"気分しだいで責めないで"のB面になりました。イントロ、リフがNILSSONの"Everybody's Talkin'"またはGLEN CAMPBELLの"Gentle on My Mind"ですねぇ。
時は1990年代前半、CDの登場からまだ10年程で新品/中古問わずCDショップ巡りが盛んだった頃、ふと(B)-BADFINGERの所で目にした鎖帷子みたいな素材のビキニを着てこちらを指差す妖しい女性のジャケット。それまでも見覚えはあったが当時の私はJ-POPの方が楽しく洋楽から離れていまして、BADFINGERにしても"Come And Get It""Day after Day""Know One Knows"、アルバムはピート亡き後トムとジョーイで再始動の"Airwaves"しか認識していなかったため見事にスルー。その後いつの間にか買って手許にある当時の輸入盤を聴きながらのレビューです。1970年11月リリース、BADFINGERに改名してからは2nd、IVEYSから通算すれば3rdとなる本作の売れ行きはと言うと、USチャートで最高28位となるも本国UKではランキング外。折しもBEATLES解散騒動最中のこと、どうやらアップルレーベルに居続けたことが彼らの命運を分けたらしく、当初MAL EVANSプロデュースでレコーディングしながら並行してRINGO STARRのシングルやGEORGE HARRISONのアルバム制作セッションに参加させるハードスケジュールを見かねてGEOFF EMERICKに交代したために発売が半年も遅れたとか。上手くいかないのはアルバム制作だけでなくシングルリリースも同様で本作からのシングルは5.とUK盤におけるそのB面8.のみ。6.は他アーティストにカバーされてヒットし有名になっただけで、彼ら自身によるオリジナルのシングルは出ていません。No Dice…振ったサイコロが台から飛び出してノーカウント、無効になって"駄目"だという意味ですから、まだ悪徳マネージャーに捕まる前のこの時点でもうアップルを離れるべきだった、そんな状況を暗示するタイトルな気がします。最後はどうでもいい話、女性の上半身が写るジャケットは開いた状態で下半身も現れるようになっているため、綴じ目が左になるように収めるとタイトルや女性の頭が右へ横向きに倒れてしまうんですね。という訳で買って見て聴いてください。
"No Dice"1992年版CDのボートラ5曲目、トラック#17にしてエンディングテューンは新加入のジョーイを含む4人の共作となるカントリーロックまたはソフトロックです。シンプルなメロディの繰り返しは突き詰める余地がありますが、仄々としたコーラス、ハーモニーはバッドフィンガーならではのもの。聴いているこちらからビートルズの後継はYou'll be the oneだ!とエールを送りたくなる、1970年当時未収録だったのが惜しまれるナンバーです。
"No Dice"1992年版CDのボートラ3曲目であるトラック#15も前曲に続いてジョーイの曲です。IVEYS時代からBADFINGER本来の音楽は基本的にポップスでしたが、ジョーイ加入によってだいぶロック寄りに舵が切られました。そういった功績は大きいものの彼の作品が全て優秀かというと否でして、この曲も焦点が定まらず可もなく不可もなくといったところ。ギターオリエントなのは当然と言うことで辛口評価です。
リリース当時の"No Dice"最後を締めくくるのはやはりピート作の壮大なバラードです。イントロから全体にアコースティクな曲調、これは…"Eight Days A Week"? いや違いますね、あの曲よりは落ち着いた"お互い足りない所を補完し合おう"みたいなラヴソングとなっています。ストリングスが加わり静かでいながらドラマティックに。だが最終的に向かう所はタイトルの通りで何かバンドの行く末を予感させますね。それも今だから言えることなのであって、ここはまず曲自体をそしてピートの才能をじっくり再評価しましょう。
本作時点での新メンバー・ジョーイを含む4人の合作名義になっている、シャッフル調のロックンロールないしブギ―です。ひたすら明るく楽しい曲調ですが、歌詞はわかりやすいけど英国特有のヒネリが感じられます。そりゃまタイトルからして歌詞には入っていないけど英国の地名ですから。見方によってはBADFINGERの代表曲とまでは言わずとも注目すべき重要な曲かと。私的にはエルヴィスの"Don't Be Cruel"に影響されイーグルスの"Heartache Tonight"に影響を与えた? どうでしょうね。
本作リリース当時のB面1曲目はピート作のカントリー風で、音像だけ聞くとのんびりしてネアカな佳曲です。R&Bからカントリーまで貪欲に吸収するUKアーティスト全般に見られる引き出しの多さを実感できます。ただ歌詞がですね、"My life may not be long"はズバリ重大な出来事の予言みたいだし、"Say You'll take from me what I will give to you"なんてまるで搾取してくださいと言ってるようなもの。尤も当然ピート自身当時はそんなつもりではなく過ぎたから言えることでしょう、それにしても…。
実は案外好きな人が多そうな隠れ名曲? 私も最近BADFINGERに再注目するようになって知った、甘いメロディが素晴らしいピート作の美しいバラードです。不安げに揺れるピアノのイントロに続く歌メロがストレートながらも胸を打ちます。どうやらピートがドラマーのマイクから聞いた不幸な実話を基に作った曲らしく、特に最後のNobody's gonna help you nowなんて歌詞がもう絶望的ですね。既出の通りBOB DYLANと並び称せられる早世のフォークシンガーTIM HARDINが2年後にカバーしています。Without YouをHARRY NILSSONがカバーした件といい、BADFINGERの曲はシンガー&ソングライターさえもオリジナルそっちのけでカバーしたくなるほど魅力的だということでしょう。
本作のみ参加のBOB JACKSON単独作品となるブルージーでちょいヘヴィなナンバーです。当然ながらBEATLESの弟分バッドフィンガーがそれまで築いてきた音楽とは似ても似つかず、でも違和感を感じるより先にむしろ却って新鮮な感覚になりました。"抱いていた夢は全て忘れよう""いつになったら振り返ることができるんだ"と歌詞もヘヴィで"When will we ever learn?"なんて私がちょっと前に紹介した"花はどこへ行った"そのもの。色んな意味で名曲としておきます。
お蔵入りから25年以上後に日の目を見た本作ではJOEYの抜けた穴を他のメンバーが見事に埋めています。ドラムスのMIKE GIBBINS作となっているこの曲も、弾き語り風の哀愁味が滲み出るフォーク調の隠れ名曲。マイクはIVEYS時代既にThink About the Good Timesという曲を書いていますが、今回は"お前が目覚めた時に俺がいなくてもまた帰ってくるからな"と、まるで一旦辞めたPETEがすぐに戻ったのを描いたみたいで歌声ともども生々しいですね。あわよくばJOEYもと期待を込めて? ともあれこれほどの才能が集結したバンドだったんだと改めて認識できます。
TOM EVANSと、JOEYに代わって本作のみ参加した元INDIAN SUMMER、ROSSのBOB JACKSONとの共作になるダークなバラードです。確かにギターフレーズを含め全体にメロディアスで、メジャー調になるサビのコーラスはBADFINGERならではと言えますが、やはり"栄光の日々は過ぎ去った"みたいな内容が当時の状況と被ってしまいます。いかにも最早醒め切ったトムが係わった曲という印象ですね。
当時の状況を熟知していたTOM EVANSが諸悪の根源たるマネージャーを皮肉った、いやモロに批判した内容のある意味プロテストソング? BOB DYLAN風の気怠そうな歌い方が却って痛快ですね。最後で"こんな争いを望んでたと思うの?"なんて言ってるけどもう遅い、こんな曲があったらそりゃ訴訟が無かったとしても発売差し止めになりますって。曲調がポップな分そんなイタさが残念な"頭で考えた"曲と言えましょう。
前作Wish You Were Here完成後ジョーイが脱退したまま1974年12月にレコーディングされていたがワーナーからの訴訟によりお蔵入り、約四半世紀後の2000年11月正式にリリースされた真にピート存命中最後のアルバムです。そんな本作のオープニングを飾るピート作のご機嫌なポップロックテューンは、かようなバンドの実態と裏腹に元気一杯なピートのヴォーカルに全盛期そのままのブリティッシュ・パワーポップな音像が光る傑作です。ただこのタイトルからするとピート、本音はひと休みしたかったのでしょうか、そう思うとカラ元気にも聞こえてしまいます。
1966年にリリースされたグラス・ルーツの2ndシングル、この曲をレビューするのはこれで3回目。しつこい!なんて言わないで聞いてやってください。前2回は覆面バンド時代のP. F. SLOANとWILLIE FULTONがヴォーカルで、今回はこの後ほぼ恒久的なメンバーとなるROB GROLLによるお馴染みのvoice of GRASS ROOTSヴァージョンです。バッキングのアレンジはフォークロック調で共通だからぶっちゃけどのヴァージョンでもいいじゃん、ってなります。"俺が必要としてた時にお前はどこにいたんだ?"人生においてやむを得ず引き離されることもあり、意図的に距離を置くこともあり、いろんなシチュエーションが頭をよぎりますね。それでも引き摺ってしまう遣る瀬無さかな。
タートルズのヴァージョンがシングルヒットになったこの曲をママス&パパスもカバーしていました。デビュー当時からメンバーオリジナル曲が主体だった彼らが敢えてこの曲を?と思いますが、あの時代いい曲はみんなで分かち合って演りましょうみたいな自由な雰囲気があったのでしょうね。作曲者STEVE BARRIとP. F. SLOANが在籍したレーベルメイトのグラス・ルーツによるヴァージョンより更にソフトな仕上がりとなった名カバーです。
何故か本国では外した反面USチャートでは24位まで上昇するヒットとなった1964年6月リリースの6thシングルです。それまでのシングルはチャック・ベリーなどのカバーばかり-この曲と同時リリースのCarol、It's All Over Nowもカバー曲-でしたがようやく初の自作オリジナル曲が出ました。当時主流だったビシバシのマージ―ビートではなく、ちょっと一息ついたポップさ加減で安心できますね。まさに折に触れて"coming back"したくなる一曲です。
NEW YORK DOLLS、THE HEARTBREAKERSを経て1978年からソロ活動に入ったパンクロッカーがアコギ弾き語りのソロ4thに収録した"明日なき世界"のカバーです。ヒットチャートとは無縁のアンダーグラウンドアーティストは未知の領域で今回この曲を検索した結果初めて採り上げることになりました。のち'88年来日の際RCサクセションによる同曲カバーに参加、その3年後に38歳で他界しています。彼のヴァージョンはその生き急いだ人生の如く短いですね、もうちょっと腰を据えて演ってくれたら良かったのに。ここにUPしたライヴでも1番・"Red China"の4番を短縮・再び1番のみで終わっています。
GRASS ROOTSは1965年BOB DYLANの"Mr. Jones (Ballad of a Thin Man)"でデビューし翌'66年この1stアルバムをリリースしていますが、当時この"明日なき世界"は外され遥か後'94年のCD化に当たりボートラとして初収録されたものです。本作にはこの曲を書いたP. F. SLOANやプロデュースしたSTEVE BARRIがヴォーカルを取る曲もありますが、この曲を始め多くは初代ヴォーカリストWILLIE FULTONが歌っています。若々しくも曲の趣旨に相応しく力強いヴォーカルにフォークロックのアレンジが冴える名カバーですね。
全曲女性シンガーの楽曲をカバーした2004年リリースの19thアルバムに収録。ややスローテンポで変調あり最後の方では歌メロも少し変えてドラマティックに演出してますね。何よりもカントリーの妖精から世界の歌姫に成長した彼女の歌声によって聴き易い点が高ポイントです。歌詞はちょっと変わって"Where have all the soldiers gone ~"の節がカットかと思いきや最後"~ flowers ~"に戻った後に1文だけ挿入という構成。この曲はヴァージョンによって"Where have all the graveyards gone ~"の節で終わったり、このオリビアのようにhusbandsがyoung menだったり様々なので聴き比べてみると面白いですよ。
"花はどこへ行った"…オリジナルはアメリカ人PETE SEEGERが1955年にリリースした超有名な反戦ソング。'60年代初頭にTHE KINGSTON TRIOやPETER, PAUL AND MARYがカバーして広く知られるようになりましたが、当サイトにはそれらの登録が無いので他のカバーを早い順に紹介していきます。まずはLove Potion No. 9などのヒットがある英国マージビートバンド、1963年の本国デビュー作でカバー。至って素直なカバーで好感が持てますね。本作には他にもアメリカの主にR&Bのカバーが収録されていますから注目ですよ。