1979年3月リリース、オリコン最高2位の大ヒットになった初期の代表曲。当時はコード進行が不自然だとか言われてました。初のバラード・ヒットということも含め、"You Taught Me How to Speak in Love"のパクリと言われつつも実は革新的出来事だった曲です。周りの女の子は間奏で聞こえる無邪気な笑い声が好きと言ってました…やはり目いや耳の付け所が違いますね。アルバムにおいてはトンデモな前曲のカタルシスという役割も。なお"週刊ヤングジャンプ"に連載された新任女性教師と高1男子がデキちゃうという漫画のタイトルにパクられたのは4年後のことでした。
1979年4月リリースの2ndアルバム・オープニングテューン。イントロのピアノが期待感を掻き立て、WOLFMAN JACK風の小林克也の語りをリスペクトしつつ真似た桑田氏のD.J.などもう桑田氏と同じラジオ少年だった身には堪らない演出です。"Don't let me down"はお馴染みBEATLESまんま、"いっさいがっさいあなたに見とれて"はBEACH BOYSの"Surfin' U.S.A"中~inside outside U.S.Aをパロった歌詞ですね。"今宵5時まで~"の通り心地よいメロディは本当に早朝5時まで聴き続けられそうです。
シングル"いとしのエリー"のB面として最初に発表されたTYPE.3を含めTYPE.1~3が存在するうちのTYPE.1。当時のアナログLP盤で言うとA面ラストの5曲目に収録、エンディングでBEATLESの"Back in the U.S.S.R."に倣ったと思われる飛行機の効果音が入ります。ジャンルとしてはその方面の第一人者をゲストに招いてブラスを多用したディキシーランドジャズとのこと。昔出会った嫌な奴らが聴いてたジャズとクラシックを普段は避けている私でも、サザンが演るならまぁいいかと思って聴き直してみたら楽しいことこの上なし、これぞ桑田マジックの呪文の効果というものでしょう。なおTYPE.3は歌詞が同じで飛行機の音は無しというヴァージョンです。
シングル"思い過ごしも恋のうち"のB面曲かつ即刻放送禁止案件です。歌詞カードや公式では公開されていない、それもその筈ゲイを示唆するてかズバリそのものの歌詞ですから公開できませんて。聴いたら当分味噌が食べられなくなるのがミソ? 曲調はERIC CLAPTONのブルーズに倣っていると専ら評されています。確かに前半こそ個人的に"たどりついたらいつも雨ふり"や"知らず知らずのうちに""夕陽を追いかけて"を連想、突然"Auld Lang Syne"まで登場し驚きましたがエンディングの展開はかなり本格的。この闇鍋感に意識混濁しながらラストの名バラードに繋がる曲順が絶妙です。
1980年6月リリース、"FIVE ROCK SHOW"の4枚目、モロにスウィング・ジャズです。歌詞は例の如くエロエロでして"女のアンタに何言われたってOK!"はOKじゃなくて○茎なのは有名な話。かと思えば間奏でLOUIS ARMSTRONG風のスキャットにサビはフランス語と何でもアリな様相です。実際ポップすぎてどこがジャズ? 大学時代ジャズ好きが先輩と同輩-互いに面識なし-2人いてそれぞれの下宿先でジャズをBGMに飲んだら必ず深酒になって二日酔いしてたり、その後出会った嫌な奴がこれまたジャズ好きだったりトラウマなんですが、サザンのこの曲は全然気になりませんね。しかしこれほどの力作にも係わらずオリコン32位、マニアックに走ったから当然の結果ですな。
MONKEES辺りで聞いたようなイントロからしてめちゃポップ、"愛の花咲くとき"を連想させるメロディ、意外にロックしているギター、と聴き直せば良い所だらけのアルバムB面1曲目でした。"思い出をGive it to you. 心にamuse"と自身の所属事務所をさり気に登場させたり、"恋はからだごとがいい""とどのつまりはto you""恋は異なものすべからく"って、もうね、こんな歌詞がスラスラ出てくるあなたの方が異なものですよ桑田さん。
今にして思うとKUWATA BANDの先駆けになったのではと思える、単独曲としてはサザンで初めて全編英語の歌詞となった曲です。と言っても1.から"type-A"だけ取り出して"Once I had a little girl~"のくだりが加わっただけですが。曲調はどうやら桑田がヴォーカリストとして最も尊敬するLEON RUSSELに寄せたブルージーなバラードにしたようです。ただ歌詞がね…vocabulary豊富な桑田も当時は英語についてはまだまだ? silly、idiot、stupidなど色々ありますよ…。
桑田氏のスライドギターで始まり"ナビスコチップスター"のCMソングになった3分半の"ふたりだけのパーティ"と1分半の"Tiny Bubbles (type-A)"をメドレーにしたつもりが纏まりきってませんね。"ふたりだけの~"の方は歌詞にdoo-wopと出てくる通りサザン流R&Bの様相で、MAXINE NIGHTINGALEの"Right Back Where We Started From (愛とは強いもの)"に似たメロディも登場しますがナイスOPテューン。ところが"Tiny~"は何と言うかそのディスりソングですか…後年のバブルを予言してた訳でもなかろうに。平均すると普通の評価になっちゃいます。
1980年11月に"ごめんねチャーリー"と"初の"両A面・11thシングルとして発売。"FIVE ROCK SHOW"の後も時々見られるオリジナルアルバム未収録シングルです。制作中に原坊のパートが段々増えていって結局"初の"デュエットになったとは有名な話。クリスマスソングでもあります。そうそうこのサビも十分に聞き覚えありますワ、耳に残るサビですよね。"Let me try to be back to this place anyday"って完全に浮気性の台詞ですな。当時のオリコン最高位は両A面合わせて29位ながら、2年半後"ふぞろいの林檎たち"の挿入歌として使われ再評価を得ます。サザンでは五指に入る名曲と言う人がいるのも納得。
いやいや、桑田にしてみれば自分を育ててくれた茅ヶ崎を讃えている曲ですよ。今やネット、ウェブに常識、敬意、親切、感謝を期待するなというのが"常識"らしいですが、せめて音楽の評価ぐらい公正、正当にいきましょうや。ん? 当時のサザンの音楽自体が常識外れ? 事実ですがそれを言っちゃぁおしめぇよ。2ndシングル"気分しだいで責めないで"のB面になりました。イントロ、リフがNILSSONの"Everybody's Talkin'"またはGLEN CAMPBELLの"Gentle on My Mind"ですねぇ。
LEON RUSSELLと1976年当時の妻MARYによるハッピーソング"Rainbow in Your Eyes"を和訳したタイトルです。R&B的な要素もあったこのUSシンガー&ソングライターに対するリスペクトが表れたブルージー、またはジャジーな曲調で構成されていますが、歌詞までオリジナルに反してややネガティヴになってしまってます。確かに好きな人は好きでしょうね。