86年の9th。前作Standing on the EdgeからTonight It's Youが小ヒット、Top GunサントラにおいてMighty Wingsで健在ぶりを示し、復活へのお膳立ては出来ていた。にも拘らずチャートでは前々作Next Position Pleaseを下回る100位圏外と、80年代ではどん底の結果。何がいけなかった? 彼ら流のポップロックは貫かれているし、時代の趨勢に従って音も若返っている…それを迷いと言う人もいるし、エンジニア畑のプロデューサーのせいで音が無機的という見方もあるが、全てはit's up to you、判断したのは彼ら自身。素人目で考えるに、もっとシングル攻勢をかけるべきだったと。少なくとも自分がコメントした曲はそのポテンシャルがあるのに、米国では10.のみ、欧州で6.がリリースされただけではプロモーションもままならない。ちょっと上向きになったからって油断したね。本格的な復活劇はやはりTOM PETERSSONの復帰を待たねばならなかった。
CHICAGO の歴史の中では最もよく知られた起死回生の一発。この作品からが俗に言う AOR路線となります。それを象徴するが如く、それまでデカデカと掲げられていた CHICAGO のロゴは、ICチップの表面に虫眼鏡で読み取れるに過ぎなくなりました。とは言えブラス・セクションもブラスロック丸出しの曲も健在ですからね。HARD TO SAY I'M SORRY に続いて出てくるアノ曲とか。でも考えてみれば、もしもこの時ブラスロックとまで決別してしまったとしたら、本当に CHICAGO は終わっていたでしょう。それはアイデンティティの放棄を意味することですから。
1984年5月発表。"17"ですがスタジオ盤としては14thになります。前作同様デヴィッド・フォスターのプロデュース-オーバープロデュースとも言われますが-で、もはや完全に(日本で言う)AOR路線が定着した作品となりました。社会派のメッセージではなくネアカで売れ線な方向性-つまり産業ロック-を進めた結果1.3.6.7.とシングルヒットも多発。ブラスロックバンドのプライドは堅持しながらも特段ハードな曲はなく、本当にあくまでAORとして嗜むべき作品です。なお、当時既に四十路であったVOICE OF CHICAGOことピーター・セテラは本作を最後に脱退、2年後CHICAGO18と同時期にソロデビューを果たしました。セテラ在籍時最後の作品とあって完成度は高く、個人的に今でもCHICAGOで一番好きなのであります。チャート最高位は4位。
1984年11月"Hard Habit to Break"に続き"Chicago 17"から3つ目のシングルで前曲同様つまり2曲連続して全米3位まで上がった"君こそすべて"です。ひたすら美しい曲で結婚式ソングとしても打って付けですね。初期のシカゴを敬遠している"ブラスロック嫌い"の方々には(日本で言う)AORに転身後のこういう曲をじっくり聴いてもらいたいと切に思います。
1986年発表。まず 25 OR 6 TO 4 のテンポダウンしたリメイクバージョンがリリースされ、歌ってるニューシンガーは当時23歳の若造だと聞き、果たしてセテラの後釜が務まるのかと思いきや、次の WILL YOU STILL LOVE ME? でその実力を認め安心しました。違和感がないどころか、ミリオン・ダラー・ヴォイスと言われながらも、しばしばキンキン声が目立ったセテラに比べてそれが無く、むしろ日本で言うAOR路線が定着した CHICAGO にはピッタリの落ち着いた声の持ち主。本作はそんなジェイソン・シェフの初お目見え作品として押さえておきたいですね。
ロン・ネヴィソン プロデュース、この一言が本作の全てを物語っています。チャートの上では前作同様辛うじてTOP40入り程度に留まりましたが、中身はメタル耳にとって実にハイクォリティな出来ですぞ! シングルヒットも満載、雰囲気自体が1988年という時代そのもの。時代に順応してイメチェンに成功した CHICAGO に座布団10枚!と言いたくなる作品です。しかし残念ながらコレがピークだったんだなぁ…本当に日本のバブルと歩調を合わせたかのように。
1976年発表、大ヒット曲「愛ある別れ」を収録する第2期シカゴの頂点とも言える名盤です。邦題は副題が付いて『CHICAGO X - カリブの旋風(かぜ)』とこれまたカッコいい! ジャケットのアートワークから別名「チョコレート・アルバム」。このジャケ絵が象徴するように、これまで以上にR&B色が濃く、しかも邦題の通り爽快感とグルーヴ感もアップしています。USチャートでは3位が最高で、Vから5作連続でマークしていた1位は逃しましたが、今となってはどうでもいいことですね。CHICAGOの作品中最も夏が似合うアルバムだと思います。
前作 XI のリリースがが77年9月、テリー・キャスの死が78年1月、同年3月に作り始めて10月に本作リリース。新ギタリスト&プロデューサー、アルバムタイトル&ジャケットと、シカゴにとっての初めてづくしのアルバムとなりました。既にビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をプロデュースしたフィル・ラモーンのプロデュースに加えて、何とビー・ジーズの参加もあり当時全盛のディスコサウンド、ブラックコンテンポラリーの匂いがプンプン。CHICAGO の中では異色のアルバムに映るかも知れませんが、1978年だからこそ生まれた1枚とも言えるでしょう。後により洗練された(日本で言う)AOR路線に転向する前のこの時期において、よくぞこんなアルバムを作ってくれたものです。チャートではTOP10から漏れたけど、これも今ではどうでもいいことですっ!
米盤The Heart of Chicago 1967-1997(15曲入り、89年のThe Heart of Chicagoとは別物)の片割れ。日本ではテイチク盤~1967-1981とワーナー盤~1982-1997に分かれ、しかも各々が15曲入りに増量されてリリースとなったもの。シングルバージョンばかりなので、例えば自分みたいにAlong Comes A Womanはアルバムバージョンの方が好きだという向きには物足りないかも知れないが、産業ロックと言われながらも輝いていたあの時代のCHICAGOを手っ取り早く未聴の人に紹介するにはもってこいのベスト盤だ。