NWOBHMを象徴するような幻のコンピレーション作Metal For Muthas Vol. 1に楽曲を提供している事でマニアからも知られるバンドが1980年に残した唯一のフルアルバム。脆弱なサウンドプロダクションが醸し出すペシャンペシャンのシッケシケなスッカスカのボロンボロンの味わい深さにマニアなら咽ぶこと間違いなし、コンピにも提供した⑥が醸し出すあの空気にNWOBHMマニアを自負する方なら立ち上がらずにはいられなくなるでしょう。この時代の英国産バンドでしか味わえないジメジメとした湿度の高さ、全体を覆うモヤっした空気と煮え切らないあのメロディ、もう少し演奏にメリハリがあれば印象も変わるのにと嘆きたくなるのですが、実はそこが初期NWOBHMバンド群の魅力とも言えるので、間違っても洗練された一線級のバンドや評論家の美辞麗句が踊るライナーノーツ付きの作品を主力として楽しみ崇めれる方にはおススメできませんが、我こそはと道場破り感覚でモノ申すツワモノにこそ、おススメしたい一品ですね。
2000年以降、再結成にオリジナルメンバー復活など、多くのバンドが昔の看板を掲げ再起を果たすといブームみたいなものがあり、やや食傷気味に飛び込んできたのが彼らの再結成でした。所謂「THE FINAL COUNTDOWN」のメンバーでの復活ですからねCarrieやThe Final Countdownを期待するのでしょうが、コマーシャル性が高まり、ジョン・ノーラムが抜けた作風に戻る事は考えられず、また2000年に昔の名前で出ていますなアルバムを作る事も考えづらく、個人的にはある程度予想されていた作風かと思います。ミック・ミカエリがここまで目立たないと可哀そうに感じますが、全編に包まれるズッシリとした重さ、ダークにしつらえた新生ヨーロッパサウンドが放つ新機軸の打ち出し方の清さに再結成の意義を大いに見出しました。随所に顔を出すメロディックなジョーイ節は健在、結局ヨーロッパはジョーイ節があれば彼らなんだなと強く認識させられましたね。基本、僕は80年代のCDを多く聴きます、特に2000年以降は海外の弱小レーベルから幻の一品が再発され興味は尽きません。ほぼ主食はその時代の作品に触れる事で新しいサウンドに幾度興味も惹かれないし、意識していないのであまり耳に飛び込んできません。ですが常に新しい事を受け入れる器量とセンスは失いたくないものです、老害にはなりたくありませんからね。80年代らしくない作風ですが2004年の再結成ですからね。ジョーイ・テンペストは一流のメロディメイカーでした。この歌メロあってこそでしょうと納得させられる一品です。 なにより、アメリカで売れたが為に彼らの本質がぼやけているのが問題だ。甘美でクラシカルなオーロラサウンドを展開した2枚目の路線を継承することが北欧なら、今作は随分と違った形になるが、実はこのバンド、90年代に幻のデモを録音している。そこでは、ヘヴィでファットな音像で作り上げた作風が既にあった事実を考えると、この作風は突然変異でも何でも無い。そういう情報を知っているかで味は変わるでしょうね。 少なくとも3枚目のアルバムは、アメリカの市場を開拓したアルバムであって、このバンドの本質ではない。4枚なんて産業主義だし、5枚目も難産でしょう。そういう意味では今作は実にらしいと言える。 変に売れて色が付きすぎると苦労しますよねぇ。
ジェフ・スコット・ソートがかつて在籍していたAOR系のアメリカンHM/HRバンドが1994年にリリースされたアルバム。アルバムは3枚出ていますが、正式なのは1990年にセルフタイトルでリリースされたアルバム1枚だけで、国内盤は我らがZEROコーポレーションからリリースされた『Windows Of The Soul』もジェフが歌うデモ音源集だし(1990年リリースのアルバムと数曲かぶっています&既に活動停止)今作はシンガーがマーク・ウェイツなる人物に代わっての一品。しかもスタジオセッションと銘打っています。 出所が怪しいのでスルーしていたのですが、安価で中古落ちしていたので手にとって聴いてみたら、まずシンガーの歌声にびっくり、骨太なハスキーヴォイスが魅力的なシンガー、前任者のジェフにそっくりの声質で本人じゃないのかなぁ?とクレジットを見直したりするも、聴けば聴くほどジェフに似ており驚いたものです。 作風も以前のデモ集に通ずる歌モノ路線と言う事で、その手の音楽性に興味があれば手を出しても損はしないでしょう。堅実な曲作りには、完成品を聴いてみたいと思わせる魅力も十分にありますのでね。