引き続きプロデューサーにディーター・ダークスを迎え1983年にリリースした2nd。今は亡きアリスタからリリースというビックディールを獲得した影響もあるのか、メタル度は上がったが明るめのご機嫌なノリの曲も増えタイトルトラックの④などは無理やりなメタルナンバー放り込み幅広い楽曲を用意、個人的には中途半端な明るさやメジャー感覚を放り込むならラスト3曲くらいの流れでやってくれないと厳しいような感覚にとらわれるのですが、前作の流れを考えると微妙ですかね。けして器用なバンドではないと思いますが、方向性の拡散がメンバーチェンジを誘発し解散の一途を辿るのですが、この時代ならではの大衆性とゴージャスに決め切れなかった音楽性の響きはオールドというよりはアンティークと言いたい味わい深い輝きがあり、ある意味、早すぎた音楽性とも言えなくもない。そんな彼らにとってはらしくないかもしれませんがラストのBaby We Can Talkなんてアルバムを締めくくるのに相応しい感動的なロックアンセムかと思いますよ。
スナイパーの天才ギタリスト日下部BURNY正則のソロプロジェクト。 Voはムルバスやサブラベルズの松川純一郎率いるエモーション等に在籍していた岸本友彦、リズム隊は現サーベルタイガーでプレシャスやコンチェルトムーンのB木本高伸にDs山口PON昌人はFEEL SO BADや藤本泰司のソロでの叩いていましたね。ギターヒーローありきはHM/HRシーンにとって不自然なことではないしバーニーのどこまでも熱く感情を揺さぶるギタープレイを堪能することが出来ファンならずとも楽しめるでしょう、特にスナイパー時代とは一味違ったメタル然としたハードなギタープレイからエモーショナルなギターと多様性に富んだ音色を楽しめるのもポイント、それらを彩る実力派のミュージシャンが揃い熱いバトルを繰り広げている様も実に豪華絢爛、オープニングを飾るハードな疾走ナンバーの緊張感溢れる演奏のカッコよさたるや(Vo岸本のワーニン・ワーニンって歌い方にズッコケそうになりましたが…)アルバムのラストを飾るジェフ・ベックばりの泣きのギターインストに悶絶し焦がれます、歌モノありインストありバラードありとバラエティの富んだ今作は商業誌の低評価もなんのその捨て曲なしの名盤です。木本高伸は上手いね
ドイツ産正統派HM/HRバンドが1985年にリリースした1st。ツインギターを要する捻りのない様式美系のサウンドに「やってもうたな俺」と呟かせ、一曲目のタイトルHeaven Can Waitとかを見て雰囲気で手を出したのがいけないんだと購入当初はまともに聞くこともなく(CD化されたのは2000年に入ってから2曲のボーナス入り10曲)感性に任せた衝動買いにやさぐれたんですが、ドぐされマニアなワタクシの耳にはビンビンに生ぬるいサウンドも鳴り響くのです。欧州産ならではの湿り気を帯びたお約束感満載のメロディラインにギターワーク、セオリー通りの展開が単調さを醸し出しますが(B級感もプンプンです)好きなんですよね、この手のサウンドは、どんだけクソださいと言われても消えて欲しくないジャンルなんです(マイルドでパンチに欠けたフニャフニャの様式美を前にアクセル・ルディ・ペルの偉大さに感服させられます)作品の中心にあるのは、あくまでも歌であり曲の構成もオーソドックスで比較的しっかりとまとめられている点が聞かせられる要素となり欠点を補っている。歌とメロディを支える地味なアンサンブルに個人的には興奮度指数も低めなんですが、時折切り込んでくる哀愁のフレーズとシンプルなリズムにマニアならグッと引き寄せられる要素もあるかと思います。なんだかんだ言いましたが、結局はワタクシは好きなジャンルなんですよ。筋金入りの様式美マニアなら手にとって頂き、なんだかんだと批評を並べ立てて欲しい一枚です。ワタクシの様式美に対する溺愛ぶりは徳光さんの巨人愛にヒケをとらない盲目ぶりですからね。
お隣韓国のベテランHM/HRバンドが1988年にリリースした記念すべきデビューアルバム。いきなりAC/DC風のご機嫌なロックナンバー「I'm Your Man」でスタート、シンガーもボン・スコット風に歌ったりと随分なりきっていますが(ソロは何故かマイケル・シャンカー風)⑥曲目に収録された「Rock the Speed」のような疾走ナンバーがあったり、韓流バラードがあったりとバラエティに富んでいるというか、1stということで方向性が定まっていないというのか、不安定な演奏に、更なる拍車を掛ける要素となり、安定感に欠けてはいますが、アジアの血をザワつかせるメロディと熱量は十分に伝わってきますので駄作といって切り捨てる事は出来ませんね。韓流ブームって言ってもメタルは全然、日本に伝わってこないし、あのキム・ギョンホもメタルに界での活動をについて『俺は単なるマイナー歌手では終わりたくない』と一般紙のインタビューに答えていたもんね。