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『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。
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『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。
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コメント
1.
ヴィレ
(2004-08-15 08:22:00)
9.11テロが米国で発生した時「アメリカ本土が攻撃されたのは真珠湾以来のことだ」と言われ、そのテロ行為を(kamikaze attack)突入した犯人を(kamikaze pilots)とも表現されていた。
その後各地で自爆テロが展開され、どちらも自らの命を犠牲にする異常さには違いないが、民間人をも犠牲にする自爆テロを、特攻隊と同一視点で捉えてもいいのだろうか、と云う気持ちを抱いている時に、本書『ねじ曲げられた桜』を知りました。
近世日本史、特に明治以降の近代史は近すぎて、歴史としては捉えにくいのか、或は都合が悪いのか、今の日本がつくり上げられた重要な時代だと思うのに、現在の学校でもこの時期のことは内容も乏しく駆け足での授業らしい。
今また「愛国心」を、国が言いはじめている。
「愛」もまた「桜」に似て、幅広い意味のフィールドを持っている。
☆…………………
ねじ曲げられた桜 —— 美意識と軍国主義 ——
著者:大貫 恵美子
出版社:岩波書店:602頁:B6判 :出版年:03年4月22日: 本体価格:\ 4,000円
2段組み・ハードカヴァーです。
著者は在米日本人の象徴人類学者で現在アメリカ・ウィスコンシン大学教授。
60年余り前、日本の国花である桜は「祖国、天皇のために潔く散れ、桜が散るように」と多数の若者が「カミカゼ」に搭乗して海の藻くずと消えていった。桜は、死に追いやる花となり、太平洋戦争敗戦の直前には特攻隊のシンボルとなった。
若い兵士が桜のように散る、という観念がどのようにして作られたかを実証しようとしている。
為政者は桜の美しさを、ナショナリズム高揚と戦争遂行に利用したのだ。
著者は特攻隊員の遺した膨大な記録を読み、特攻隊員たちの日記に表現された理想主義と学ぶことへの情熱を検証・分析し、平和への願いを込めた、人類学の見事な成果。
☆…………………
第1章 桜の花と生と再生の美学
第2章 もののあわれの美的価値—咲く桜から散る桜へ
第3章 仮想の世界の美と桜—自己と社会の規範を超えて
第4章 文化的ナショナリズムと桜の花の美的価値
第5章 天皇の二つの身体—主権、神政、軍国主義化
第6章 桜の花の軍国主義化—桜の花が戦没兵士の生まれ変わりになる過程
第7章 国土の象徴としての桜の花—民衆の軍国主義化
第8章 「運命を選ぶ自由」—特攻隊の成り立ち
第9章 特攻隊員の手記
第10章 国家ナショナリズムとその「自然化」の過程
第11章 グローバルな知的潮流を源泉とする愛国心
第12章 幹を曲げられた桜
☆…………………
本書を読んでイラク戦争を仕掛けたアメリカと、桜を使った戦前の日本政府のイメージ戦略とが益々重なってくる。
「自爆テロ」
今さら遅きに失っするようにも思いますけど、自爆テロは今だに頻発していて少し前にも、ロシアのロックコンサート会場でも多くの人が死亡したと報道されています。
自爆テロはエンドレスに続くのでしょうか。
今日は日本の59回目の終戦記念日(敗戦記念日)ですね。
※ 読んでみたい方は、\ 4,000円なので「無料貸本屋」⇒ つまり公共図書館で、リクエストして下さいね。
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2.
柴が2匹(会社から)
(2004-08-15 10:13:00)
はじめまして。
興味深い本ですね。
現在は単純に戦争についての過程を軍部や天皇、財閥に当てはめてしまう傾向に
あるようですが、いかに当時の日本国民が戦争に協力的であったことは語られる
事は少ないようです。なぜ、国民は政府よりも軍部の方に耳を傾けていったのか
という過程を知ることこそ大事かと思います。
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3.
しゅんぺ~
(2004-08-15 15:29:00)
ウ゜ィレさん、はじめまして。
3年ほど前ですが、自分の高校でも明治以降はほとんどやりませんでした。時間がないのと大学受験にあまり関係ないからだそうです。そういう問題じゃないような気がするんですけどね。
学校で習わない分、予備校で勉強したんですが、そこの先生が「当時の日本がアメリカと戦争するってことは、おれがこのビルぐらいのでかさ(5階建てだったと思います)のおっさんとケンカするようなもんやで。そんなもん勝てるわけないやろ」と言ってて、「あ~、なるほどな。」と思いました。歴史の勉強って暗記作業のように思われがちですが、やっぱりその時代背景をしっかり理解することが大切だと思うんですよね。
でも、今の学校の授業ではそういうことが置き去りにされてるような気がします。
その一方で「愛国心を育てよう」なんて言っても意味がない、ってゆ~か、馬鹿げてると思います。
特攻隊を復活させないためにも、自爆テロを失くすためにも、ただの暗記作業じゃない歴史の勉強が必要じゃないかと思います。
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4.
あお
(2004-08-15 20:22:00)
はじめまして。
なんだか時期的にも考えさせられてしまう話題だったので・・・。
そもそも「テロ」と「戦争」の違いって何なんでしょうか?
私が思うのに、テロというものが国の中に存在する一部の組織が国家の意図なくして行ったものだとすると、
戦争は、国家的な意図を含んだ国を挙げての戦いというような意味合いを持つような気がします。
だとすると、「自爆テロ」とは、個人的かつ組織的なもの。
「神風特攻隊」とは、国家を挙げた戦争の戦略のひとつなのではないでしょうか?
(あくまでも私の個人的な見解ですので、何の根拠もございません。)
私自身、学生時代に歴史を学んだことがありまして、その講義のなかでも満州事変~その後第2次世界大戦にまでへの至る経緯のことについてふれられました。
日本では、皆様もご承知の通り、唯一の原爆投下された国ということで反戦を訴えることには勿論賛成です。
ただし、その一方で教科書などから抹殺された、もしくは敢て詳しく触れようとはしない「史実」があると思います。
例えば、中国人虐殺とか・・・。そんなことは行われていない、という人もいるかもしれません。
しかしながら、そういったことにも「史実」として目を向けていかないと、今後の日本における未来もひらけてこないと思います。
その先生の講義の内容では、歴史とはどこからどこまでを戦争の始まりかととらえるかによっても、その見方は変わってくると仰いました。
また、残されている史料などからによっても、その戦況下によって人間の意識も正常な判断を失ってくるであろうというようなことも仰っていました。
図書館に行けばその様々な写真を見ることもできたのでしょうが、その当時の私はあまりにもそのお話が強烈だったので、怖くてその本を手に取ることができませんでした。
9.11のアメリカのテロも然りだと思います。
その後のアメリカ人たちのイラク兵へ捕虜への虐待もそうなのかなぁ~、などと、
学生時代の時の先生の言葉がよみがえって来たりもしました。
そして、どこからどこまでを戦争の始まりだととらえるのか・・・?
大切なのは、教科書の上だけの勉強ではなく、「史実(=改ざんされていない史料)」を基にした残された文献や写真、建物などの「遺物」を元に、それぞれが自らの考えを見出すことが大切なことなのではないかと思います。
なんだか偉そうな事を語ってしまいましたが、なんとなくこの時期、
また、このようなスレを拝見しまして学生時代勉強したことの記憶の断片が蘇ってきました。なんだか、話の筋がそれてしまっているような気もしなくもないのですが、どうもすみません。
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5.
ATOSS
(2004-08-15 20:43:00)
横から失礼します。高校で明治以降をほとんどちゃんと教えない、というのは受験テクニック一辺倒の進学系高校式授業に原因があります。私は浪人ではなかったため人伝の情報になりますが、予備校に行くと歴史では「明治以降、特に昭和については受験問題で出さないのがマナー。よって覚える必要ナシ」と教わるそうです。実際昭和について深く出す受験問題はあまりないのは確かに正しい情報なのですが…。
現役生でも配布物で終わらされてしまうのが学校授業の実情でしょう。私立校中高一貫教育などはましてや受験技術のみ「伝承」する現場であることがほとんど。歴史=受験の道具としての暗記となりますし、深く考えなかったり教員の考えをそのまま呑み込んでしまうというのがあります。そして生徒自身にもそんな余裕がない、というのも…。
たまたまランチに入った新橋の牛タン屋で、沢山のおじいさんたちが集まり戦時中の体験談について熱く語っていたのを覚えています。もちろん偶然出くわしたのですが「韓国が日本を怒れる立場にあるのか、 日本が韓国国民のためにどれだけのことをしてきたと思っているんだ」とか「台湾についてはこうだった」など、それ以外にも防空壕での体験や空爆の話もあったと思います。私は少し離れた席で食事を取っていたので会話に参加したわけではありませんが、戦争を体験することとなった世代の本音が聞けたと思い、今でも凄く大切な思い出になっています。誤解されるといけませんので付け足しますが、その人たちは戦争を美化しようと考えているようには微塵も感じませんでした。自分たちの体験から起こる考えというのは批判でも賞賛でもないのでしょう。
あの人たちのような熱い思いを国に持っている若者は少ないのが現状でしょうね…。過去のスポーツイベントでの日韓戦、先ごろのサッカーアジアカップ日中戦で場違いなブーイングがありましたが(前者の日韓戦は本当にごくごく少数ですけど)、あのおじいさんたちを目の前にしてもあのようなことが平気で言えるのでしょうかね。今韓国は反中感情が徐々に高まりつつあるとか。原因は広開土王碑を中国教科書では自国領土内と記している、ということだそうです。「それだけの理由」の為に日中戦は日本を応援した韓国人サポーターもいたそうです…。ちなみにこの碑は「高句麗」のものです。…いつの話ですか。そしてこの広開土王碑自体にいくつもの疑惑があることをお忘れなく。
何も考えず、ましてや自身を振り返ることもせず愛国・友好・統一だけを叫ぶ。
一番愚かな事かもしれません。
8月15日。今とりあえずは平和とされている世界で生きている自分がいかに恵まれているのかを考えて記す…。
*かなり長い文章になってしまいました、大変申し訳ないです。
もちろん流していただいて結構です。
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6.
JOE吉田
(2004-08-15 23:55:00)
はじめまして。
自爆テロと、神風特攻隊を同一視するアメリカに非常に腹立たしさを覚えます。
60年前に、広島や長崎に原爆を落とし、各地の空襲で多くの民間人を虐殺しておきながら(民間人の殺害は国際法で重大な戦争犯罪に定められています)よくも日本人の感情を逆なでするような発言が出来たものだと感じます。
ただ、歴史がないため歴史教育の位置づけが低く歴史を知らないアメリカ人ならしょうがないかもしれません。
本来歴史教育というものは今の、国や国民のあり方を考えるために非常に重要なもので、受験云々に左右されるべきものではないのではないでしょうか?
現に中国では、史実からかなり歪められた徹底的な蔑日・反日教育によって国民を上手くまとめ上げ、国民一体となって日本からODA等の多額な金をまきあげることに成功しています。(非常に腹が立ちますが)
逆に日本では戦前の日本人がいかに近隣諸国に対して残酷な行為を行ったかを徹底的に教える教育がされてきました。
「日本が2度と西洋の脅威になってはいけない」というGHQの思惑に合致したため、左翼系学者が教育界を牛耳ったためですが、それによって日本人としての誇りを持つことが出来ない人間が沢山生み出されてきたと思います。
私も(受験にあまり影響が少ない)高1の頃、社会の授業で南京虐殺や朝鮮人の強制労働、沖縄戦での日本兵による現地人への虐待行為をグロテスクなほど詳細に教わったことを覚えています。なお、当時は従軍慰安婦はまだ取り上げられて(捏造されて?)いなかったので教わりませんでした。小学生の時には、「アメリカが原爆を落としたことにより、日本は終戦を決定することができ、それによって平和をえることができた。広島や長崎の被爆者は戦後の平和のために犠牲になった人であり、冥福をお祈りし、2度と過ちをおこさないことを皆で誓いましょう」と教わりました。
最近はこのような教育はなくなっていることを願いますが、少なくとも私(37歳)の時代はそうでした。
近年、「新しい教科書を作る会」や教育基本法の改正など、戦後の悪しき教育を改めようという動きが出てきています。それに対して中国、韓国などが内政干渉してきています。
韓国の中学の歴史教科書も持っていますが、内容の80%は「偉大な祖先たちが、日帝からの侵略に対していかに戦って、平和を勝ち取ったか」です。中国の教科書も同様と聞いてています。そのような反日教育に対して日本はなんら抗議をしていません。にもかかわらず、中国・韓国は日本に対しては文句を言ってくるのです。国益にかなうのでしょう。
長々と、取り留めのない文章になってしまいました。
かなり右よりの発言だと感じられるかもしれませんが、諸外国に好きなように言われないよう、日本人としての誇りを持てるような教育が必要ではないでしょうか?
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7.
HARRY
(2004-08-16 00:27:00)
場違いかもしれませんが発言します。
まず題名の違いとは、ヴィレさんが仰るとおり民間人を巻き込むかどうかの違いだと思います。しかし、その成果に喜び悲しむ人の数でいえば国家の戦略かどうかは大きな違いではないでしょう。しかも古今東西歴史を紐解けば民間人を巻き添えにした戦など数限りなくあります。その正義は誰も判断できないでしょう。特に中国などは人類の歴史上残虐と思われることは自国内ですべてやり尽くしている国です。
ヴィレさんの仰るとおり近い歴史だから、現在進行中の歴史だから読めないこともわからないこともある。しかし自分はただの繰り返しだと思います。人間は争いが好きだということ。
酔っ払ってますし、何の発展性もない意見ですが思うところはこんなところです。
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8.
ATOSS
(2004-08-16 01:10:00)
>特に中国などは人類の歴史上残虐と思われることは自国内ですべてやり尽くしている国です。
それってモンゴル(だったかな??)か何処かの隣国の男性を殺しつくして女性は中国人にレイプさせて血を絶つ、っていうやつでしたっけ?確か「浄化」の名の下にしたとか。遠い昔の授業でちょっとだけ教わったような気もします。それとネット上で見かけたことなので信憑性は薄いかもしれませんが、あちらでは日本から中国へのこれまでの支援総額は17億円とされているそうですね。
まぁこんな情報が頭に入っているということは私は中国に対して少なからず嫌悪感を抱くところがある、ということなのかもしれませんね、料理は凄く美味しいと思うんですけどね。自分自身の争う心、のあらわれかもしれません。自分自身なんて醜いものです。「ヒト」のことはどうこう言えないです。
そうそう、モータースポーツではコース上で無謀なコーナーアプローチを行い結果として接触事故を起こした場合、「BANZAI ATTACK」と呼ばれることがまれにあります。基本的にモータースポーツは欧州文化ですのでアメリカ的な考えだけでなくヨーロッパでも日本はそういうイメージがあるのかもしれません。
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9.
あお
(2004-08-16 11:45:00)
度々すみません。皆様が歴史について語られているので、さらにもう一言・・・。
歴史教育ってすごく難しいと思うのですが、確かに受験のひとつの科目として学校教育に取り入れられられているのは事実です。
しかしながら、もし皆様が本当にそこらから一歩踏み込んだ「歴史」というものを少しでも知りたい、学びたいというのであれば、まず「歴史=歴史科学」であるということを、敢て発言させてください。(←そんなことは知りたくないし、興味もないよ~、ただ楽しく自分の意見が語れれば良いじゃん!って言う方はここから先は、あえて読まないでください!そして無視してください。(笑)」
では、「歴史科学」とは何か・・・?
「科学」とは捻じ曲げられていない真実、その真実の中には例えどのような理由があってもその中に個人的感情を入れて発言をしてはいけない・・・、ということです。
例えば、様々な情報があると思います。そこにはAという史料とBという史料で書き残されていることが違う場合もあります。
そこで大切なのがどの史料が本当の「事実」を書き残しているのか・・・?専門用語では「史料批判」と申します。←コレが大事らしい。
そういったことも踏まえて、自分自身の考え、歴史に対する見方を科学すること、それが「歴史科学」、本当の歴史を学ぶということです。(←言い切ってよいのか~?汗)
・・・え~っと、メチャメチャ堅苦しくなってしまいましたが(笑)、大学もしくは短大なんかで歴史を学ぼうとしている人、現在学んでいる人って、最初にこんな感じで叩きこまれるんですよ~。そして史料を求め図書館通いをするんです。おかげで、理屈っぽい性格だと周りにいわれています。(汗)なんで私はここでこんな発言をしているんだ~?
でも少しでも皆さんに大学(短大)なんかで歴史を学んでる人はどういったことを学んでいるのか、(学んだのか)っていうことを少しでも知って頂きたく書かせて頂きました。あっ、でも私の発言だけを鵜呑みにしないでくださいね!
サラッと、流してやってください。そして皆さんのラフな意見を聞きたいです。
私個人的には難しいことを抜きにして、やっぱり日本人だし過去を知った上で日本人として誇りを持って生きて生きたいです。それがアジアだけでなく欧米諸国との国際交流にも繋がると思っています。そして戦前戦後、必死になって生き抜いてきた方々がいたからこそ、その上に今日の日本が成り立っていると思います。・・・色々問題はありそうだが。(苦笑)長々としかも何度もすみません!
では、次の方どうぞ!
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10.
GEORGE
(2004-08-16 12:56:00)
あおさん、こんにちは。
スレの本題からさらに逸れてしまいますが、あおさんの学ばれた「科学」と私の思う「科学」では大きなズレがありますね。
私にとっての「科学」とは「現実の現象の計算可能性・証明可能性」のひとことに尽きます。
「こういう条件でこうすればいついかなるときもこうなります」の集大成です。
そういう意味においては理系科目のなかでも気象学などはまだ「科学」と呼べる代物ではありませんし、いわんや文系科目で「科学」であるものは一つもないといえます。
また数学や論理学などは「科学」を語るためには非常に大切な道具ではありますが、現実とは乖離し抽象化されている故にそれ自体は「科学」ではありませんよね。
文系においては理系に対するコンプレックスの所為か、変に科学ぶるところがありますよね。
かくいう私は経済学部で、机上の空論以外の何者でもない数式で飾り立てられた似非科学みたいなものを勉強させられたものです。(ちなみに高校生以下の方、現実社会の経済について勉強したいのなら経済学部ではなく商学部か経営学部に進まれることをお勧めします)
ただ、「科学こそが最良のもので、非科学的な学問には意味がない」などというつもりは一切ありません。
科学というのは現象に対するアプローチ方法のなかの一つということにすぎませんから。
このスレの本題については、細かいことは抜きにして「勝てば官軍」であるのだなあ、と思うことしきり。
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11.
ヴィレ
(2004-08-18 21:19:00)
何を今さら、半世紀以上前の堅苦しい難しいことを、と読み流されるだろうと思っていました。
実はこの書き込みをしてすぐに、連日の猛暑の疲れを癒しに2日間温泉に行ってました。 帰宅し、ここを見たら熱気に満ちた議論が行われていて驚き感動しました。
皆さん、ありがとうございました。
少なくても、こちらに書いて頂いた方は読んで下さるかと思い、再びこのスレの本題について
本書の主題は、序章のはじめにある通り「日本の絶対主義的政治体制下において政策がどのように『美化』されたか、シンボルとか理想を『美化』することによって、政策がいかに国民に抵抗少なく受け入れられていったか、という過程についての研究」です。
著者は当初、花見について研究しようとして、調査を進めるにつれ、桜花の美しさが明治以降の日本政府に利用され、桜の花が散るように、多くの若者たちが特攻隊員として海の藻くずとして消え去ることになったことに注目。
具体的には、五人の学徒特攻隊員を取り上げて分析をしている。
特攻作戦・・・将校らは意味のない死の任務であることを知っていて志願しなかった。
その多くは学徒と少年飛行兵士だった。
なぜ確実に死を意味した悲惨な特攻攻撃に、若者たちの多く(その内の85%が当時の知的エリートの学徒兵)が、従事したのか。
散る桜が戦死の象徴として極めて有効だった理由は、桜が一義ではなく、その背後に豊かなイメージが、様々な景色が、言葉にならない情趣が控えていたからに他ならない。あえていえば「誤認」の可能性こそが「大義」を支え、さらに「大義」に殉じることを「自然」と思わせ、マルクスを読む学徒兵をも特攻隊に志願させたのである。
当初の特攻作戦への従事は、明らかな志願制であったが、戦争末期での制度は志願制としながらも半ば強制的であったのも事実である。
アラーの神を信じたテロの実行犯が宗教的な確信から「自発的」に犯行に及んだと思われるのに対し、特攻隊員の多くは「お国のため」に、意に反して死んでいった。逃げられなかったからだ。特攻を拒否した人たちが「もっとも危険な前線に送られて、いずれにしても死んだ」また「もし、あなたが拒否すれば軍があなたの家族やあなたの村にもその事を告げ、あなたの愛する家族や村は恥の中で生きねばならない」と苦渋の選択を迫られた。
国策だったとしても「一人ひとりが途方もない規模の悲劇を導いてしまう歴史の流れの一端を担うことがありうる」ことも指摘している。
何故テロ実行犯たちは自爆を恐れないかというと、自爆すればアラーの神のもとに行け神になれるからです。
それに相反して、特攻隊員は民間人を犠牲にしなかったので同じ扱いはできない。
それと、あおさんの言われる
>「科学」とは捻じ曲げられていない真実、その真実の中には例えどのような理由があってもその中に個人的感情を入れて発言をしてはいけない・・、ということです。
科学的とは論理的・客観的・実証的であることで、科学とは「百科の学術」に由来することですから、あおさんの言われるのに近いと思います。狭義には自然科学・社会科学・人文科学などに分類されてますね。
特攻隊員たちの手記も過去に数多く出版されているが編集者のイデオロギーを反映したものになっているものが多い。
本書『ねじ曲げられた桜』は、そういった意味でも社会科学に属すると思います。
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12.
JOE吉田
(2004-08-20 22:35:00)
あおさんの言われる「歴史科学」ですが、歴史はもっとも科学にしにくい分野ですよね?
歴史を述べる人が、個人的感情をいくら廃しても立場やイデオロギーによってひとつの事実の解釈が何通りもありますよね。そして、そのどれもが正しいという場合が。
難しい問題です。
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13. YOSI(実家)
(2004-08-21 03:15:00)
僕もひとつ意見を・・・。私の一昨年なくなった祖父(同居していました)は戦争をリアルタイムで体験しています。軍人でした。それも陸軍憲兵で、陸軍中野兵学校なんてところを卒業した情報将校で、軍では暗号解読を担当。日中戦争時は満州に、太平洋戦争時にはシンガポール上陸に参加し、司令部で内地との情報伝達を行い、敗戦後は戦犯としてイギリス軍に軍事法廷にかけられ、幸いにも何年かラバウルだったかの刑務所に入り、だいぶ遅れて帰還した、かなり波乱万丈の人生を送った人です。僕は子供のころから結構戦争中の色んな話を聞きました。そしてその内容が、かなり教科書や本で学んだ内容と違うことを感じてました。ちなみの僕はよく、祖父とそれで喧嘩しました。つまり教科書や本にある、日本があの戦争で一方的に悪で加害者的立場であるという考え方、悲惨で最悪な戦争を二度とくりかえしてはならないという自虐的、反省的立場とはかなり違い、僕は祖父はかなり過去を美化しているのではないかと思い、よく議論になりました。今僕が祖父の意見を思い出してみると、よく言っていたのは、
「あの戦争が良いとか悪いとかいうのは無意味だ」
「あの時代において、国民も、政府も別に侵略戦争がやりたかったのではない」
「周囲から経済的にも資源的にも孤立、圧迫させられ、その状況を打開するためには、嫌だけど戦争をせざるを得なかった」
「具体的には、日本にはない石油や鉄鉱石などの資源を確保するために東南アジアや
満州を必要としたが、その利権を確保する途上でアメリカやイギリスと利害が衝突した」
「それらを得るために戦争という手段に訴えたことは過ちだったと思う」
「しかし、それらの国々にはすでに欧米諸国が植民地化することで、先に支配していた。まだ欧米諸国より、同じアジアの国の日本が進出したほうが良かったのはないかと当時は考えていた」
「戦争自体は過ちだし、罪は罪だが、結果論として、あの戦争が東南アジア諸国を諸国から開放することにつながったともいえないか?」
「日本を非難する国も今でも多いが、しかし東南アジア諸国の国には今でも親日的な国もたくさんある。」
「少なくとも自分は(祖父)はシンガポールなどにおいて、非道な行為はやっていないし、またそれだからこそ、死刑や極刑にはならなかった」
「軍事法廷においては、現地の人々の証言をもとに、人道的に許されない行為を非戦闘者、一般人に加えていた人間、軍人は裁かれていたが、自分は職務(情報伝達)に一生懸命になっていただけで、それが罪といえば罪だが、しかし人道にそむく行為はしてないから重い罪でなかった」
等々です。そして意外に感じられるのは祖父がこれらの思い出をすごく楽しそうに話すことです。(僕がいちゃもんをつけるまでは)
今僕が思うのは、祖父にとってあの時代というのは、悲惨なだけの時代でも、悪に満ちた時代でもなく、もちろん美化できる美しい時代でもない。ただ一生懸命生きただけの時代であり、そして青春時代を一生懸命生きた思い出は、とても懐かしいものであるということ。それを知らない僕は、冷静に時代の、国の善悪という大きな見方で考えてしまいがちだけども、それだけでは語れないものなんだと。
ようやく最初の神風特攻隊とテロの違い、というのになるんだけど、もっと単純化して考えることもできるのでは。彼らは国家のためとか、天皇に対する忠誠とか、宗教的理由とか、それらもあるんだろうけど、ただただ仕事を一生懸命にしようとしていた、という風にいえるのでは。死ぬくらい一生懸命なんて変!といえるかもしれないけど、今だって仕事に一生懸命で過労死したり、責任をとって自殺したり、勉強に根をつめて死ぬ人だってたくさんいる。その延長線ともいえるのでは?と考えてみたり。
僕はあの戦争を肯定する気は全くないです。しかし祖父の生きた時代を全否定することもない。少なくとも今は。戦争で直接人を殺しているであろう、それを直接語ることはなかったがそれを思わせることをいっていた、その祖父が悪人では全くない、非常に優しい人間であった。
祖父は言っていました。「ただ生きて日本に帰りたかった。そのために戦った」と。
14.
あお
(2004-08-21 10:09:00)
>JOE吉田さんへ
確かに仰るとおりだと思います。
個人個人によってそれぞれの考え方があると思います。
ちょっと専門的になりますが、
「ひとつの事実の解釈が何通りもありますよね。そして、そのどれもが正しいという場合が。」と述べられていますが、
それは、「何を根拠に?何の史料をもとに?誰の証言をもとに?」っという話になる訳です。そしてその元となった材料の信憑性は確かか?っていうことになります。
信憑性のない史料を元に発言すれば、それは真実に遠くなるということです。
どれもが、正しいという立場に立っていては、歴史は科学できません。
確かに個人的な立場や考え、思想はあるかもしれません。(右寄思想、左寄思想など)現在でも、ひとつの年代において様々な争点が争われています。
勿論、皆さんが自分の意見が正しいと思って発言している訳です。
が、決して個人的感情だけで物事を発言しないんです。
よく古代史なんかで、歴史はロマンだと仰っている方がいますが、歴史はロマンではありません。なぜなら、「ロマン=個人の想像」と仮定した時、想像だけで発言している専門家はいないからです。(←ここは言いきりますよ。)
そして、それが「歴史科学」のルールなんです。そしてそのを守りつつ自分の核とする(言わんとする)意見を元に、相手の出してきた史料や証言の矛盾点を比較、追究すること、それが「歴史を科学する」ことだと思います。
「科学」といっても、理系の科学とその実践方法は違うかもしれません。経済学や理系の科学やらは詳しくは存じ上げませんので私の考えですが。
本題のスレと全然それてしまっていますが・・・(汗)、しかも長々とすみません。
→
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15.
あお
(2004-08-21 10:21:00)
↑
すみません。誤字があるではないかぁ~?個人的に結構誤字をあちこちでさらしまくっているのには気づいていたんですが、今回はちゃんと訂正を入れておきます。
下から6行目、「そしてそのを守りつつ」→「そしてそのルールを守りつつ」に訂正して下さい。(苦笑)
→
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16.
HADANO'S HATE CREW
(2004-08-21 14:05:00)
興味深い話題なので私も参加させてもらいます(歴史とか科学とかわかりませんが)。
私は戦争や宗教の背景にあるものとかは詳しくはわかりませんが、人が何か行動をするときの決断は必ず自分ですると思います。やる・やらないを決めるのは絶対に自分です。それは何をする時(勉強、仕事、親切、犯罪、etc…)も同じだと思います。個々で異なるのは決断に至るための判断材料だと思います。これは個人の生きてきた歴史、宗教、環境などでそれまでに得てきた情報によって全員が異なると思います。
判断材料は大きく分けてルール(法律、etc…)と人道(←この言葉が正しいかわかりませんが…)と環境だと思います。ルールは力のある人たちが都合の良いように定め洗脳に近いかたちで大衆に広げるもので他人から押し付けられた判断材料と言えるでしょう。ここで言う人道は宗教などの個人が常識として自発的に信じているものとします。言うまでもありませんが環境は立場や経済やまわりの状況などです。
以上の3つのような判断材料のバランスは異なりますが『自爆テロ』も『神風特攻隊』も物理的に捉えると自害して相手を殺める行動という意味では同じだと思います。この2つの行動が正しいか間違っているかの判断は私には出来ません物事には多面性があり立場により上で述べたように判断材料が異なるからです。ただ、人が死ぬということは誰かが悲しむことなので望みはしません。
最後に“破壊(殺人)行為はいけない"という考えも人間がつくりだした都合の良いルールにすぎないのかも知れませんね。動物(虫)は殺してしまうんですから。
※論点と合ってるか不安なんですが…以上です。
→
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17.
あお
(2004-08-21 21:39:00)
319-14のレスに追記させてもらっても良いですか?(しつこいですが・・・。)
何が正しくて何が正しくないかというのは、歴史の範疇ではないと思います。
ただただ過去に起こった真実を追究することだと思います。正直、そんなことは専門家にやらせておけば良い(←笑)と思っています。
大切なのは、その専門家が導き出した史実を多くの人に伝えること。
そして多くの人に考えさせて、悪いことだったら繰り返させないようにする、正しいことならお手本にするっていうことが、歴史の意義であったら良いな~っ、と勝手に思っています。
ヴィレさんの紹介して下さっている本「ねじ曲げられた桜」、多分出版社やお値段的なものからして専門書っぽいんですけど、何となぁ~く読んでみたいような気がします。
その本に、ここのスレの答えの一部が隠されていそうなので・・・。
・・・機会があったら読んでみたいと思います。
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18.
JOE吉田
(2004-08-21 21:57:00)
>あおさんへ
おっしゃるようなことは、私も日頃から関心を持っていることですので(レベルは全く低いですが)、ある程度理解できます(より理解できるよう要勉強!)。
歴史を学問として取り組むためには、「何を根拠に?何の史料をもとに?誰の証言をもとに?」ということですが、資料は意図的に嘘をつく、書いた人の感情が入る、当時としては当たり前すぎて重要な事項にも関わらずあえて記載されていないなど様々な歪みがあるため、それをきっちり見極めないといけないということですよね?
要は、歴史を科学する人には豊かな感性・人格・経験・冷静さが必要になってくると思います。
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19.
H・W
(2004-08-24 01:00:00)
たとえば、僕の愛する家族が、誰かの手によって理不尽に殺されたりしたら、
僕はどれほどの怒りを感じるだろうか。
一日に何回も祈りをささげている、自分にとって絶対的な「神」を侮辱されたと感じたら、いったいどれほどの憤りを覚えるだろうか・・・。
ちょっと想像できないくらい、大変な憎悪の念が燃え上がるに違いない。
自爆テロリストは、神に近づきたいとか、英雄になりたいとかの理由で爆弾を抱えるわけではないと思う。
怒っているのだ。ものすごく。
もちろん、彼らだって、死ぬのは怖いだろう。
「死んだら英雄」なんてのは、その恐怖に対するちょっとした麻酔薬に過ぎない。
彼らの根底にあるのは、やっぱり、身を焦がすほどの憎悪であるように思えてならない。
翻って、特攻に散った日本の若者たちは、それとは少し趣が違うような気がする。
武士道精神というか・・・。
正しく生きようと・・・ただ盲目的に姿勢を正そうと生きた末路というか・・・。
アメリカ兵を憎むあまりの玉砕、って言うのではなく、
自分が正しくあるために命を賭したっていう感じ。
今となっては、その「正しさ」の方向性が思いっきり違っているといえるわけだけれども、
当時の日本にとっての正義って言えば、もう・・・。
でも、根底にあるのが何であれ、自分自身が爆弾となって敵に飛び込むっていう「狂気」を、アメリカ人が「kamikaze」と一括りにするのは、別に間違っちゃいないと思う。
「特攻は民間人を標的としていないから、一緒にするのは特攻隊員に失礼だ」
などと言ってはみても、テロリストから言わせれば
「アメリカ人が何人の民間アラブ人を殺したと思っているのか。」となり、
「われわれの敵は全アメリカ国民であり、別にアメリカ軍やアメリカ政府じゃない」となるだろう。
で、アメリカ人から見れば、どっちも、「敵」に向かって突っ込んで行くことに変わりはないじゃないか、と。
実行者の精神性に踏み込んで細分化することはできるけれど、
結局、「どっちも狂気」というのが、もっとも健全な発想だと思うわけで・・・。
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20.
すわんそんぐ
(2004-08-24 13:52:00)
『小林よしのり』の『戦争論』(3まで出ている)を読みましょう。
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21.
ヴィレ
(2004-08-29 12:52:00)
当然ですが、本書はイラク戦争について迄言及していないです。
自爆テロと神風特攻隊を同一視した認識に、いち日本人として疑問を持ったのが切っ掛けで本書を読みました。
先述しましたが
本書の主題は、序章のはじめにある通り「日本の絶対主義的政治体制下において政策がどのように『美化』されたか、シンボルとか理想を『美化』することによって、政策がいかに国民に抵抗少なく受け入れられていったか、という過程についての研究」です。
米国では「カミカゼ」を無教養な狂信主義者、理解不可能な日本人という捉え方が強く、それが原爆使用にもつながっていった。
日記や読書リストをあげることで多様な考え方の人間であることを伝えたかった。
更に言えば、日本の桜にあたる象徴は英国ではバラの花、米国では全州に共通する星条旗がそれにあたると思います。
ナショナリズムと結びついて人々を駆り立てる象徴の恐ろしさ、それを自覚してほしいと言う願いが根底にあると思いました。
あおさん、何度も熱心に書き込みをして頂いて、心から感謝です。
お値段的に\ 4,000円なので、CDを2枚買えますから、図書館で借りて下さいね(もちろん内容は金額以上の価値ですが)私からのお願いです。
皆さんのそれぞれの重要な考え方がぶつかり合い納得できる議論を交わして頂いて、ありがとうございました。
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22.
ヴィレ
(2005-08-15 16:07:00)
『終戦・被爆 60 年企画』ということで
8月6日(土)から8月14日(日)まで連日、NHKスペシャルが放送されました。
8月9日(火)の「赤い背中 ~ 原爆を背負い続けた 60 年 ~ 」が強く心に残りました。
16歳のときに長崎で被爆。
背中一面にひどい火傷を負い、治療法もなく絶望視されながらも奇跡的に生き残った少年。
放射線で皮膚の遺伝子が壊れているから自然治癒しないばかりか、60 年後の今も原因不明の硬い異物ができて痛み、苦しみも続く。
60 年間仰向けに寝れない。車や飛行機に乗る時も背中をシートにつけられない体なので、体力の消耗も激しいのに、原爆の恐ろしさを伝えようと講演会や原水爆禁止運動へ参加している姿が紹介されていました。
このドキュメンタリーを見て
痛みに耐え続け、60 年間拷問され続けたのに等しいと。
NHKスペシャル『終戦・被爆 60 年企画』を見て。。
最近こちらのサイトを知った方も多いようなので1年前の
『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。も読んで頂けたらと考え、このスレッドにまた書き込みしました。
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