1990年、同じ音楽嗜好だったことから意気投合したトーマとギ=マニュエルはダーリンというバンドを結成。その頃にステレオラブの前座としてステージに立ったときのことを、英音楽雑誌であるメロディ・メーカーは「ダフト(愚かな)パンク」とこき下ろす。が、この言葉を二人が気に入ってしまい、ハウスミュージックへ転向すると同時に現在のユニット名にした。
そして、シングル『The New Wave』でデビューを果たし、次のシングル『Da Funk』が欧州から火がつく形でヒット。スパイク・ジョーンズが監督したPV効果も手伝い、一躍人気ユニットに。そして、アルバム『Homework』もアメリカでもヒットするほどの売り上げを記録。その傍らでミッシェル・ゴンドリーがシングル『Around The World』で変なPVを作っていた。
アルバム『Discovery』製作時、1999年9月9日にコンピューターのバグで機材が爆発。その事故によって2人はサイボーグになってしまったという設定を用いて素顔を封印。平行して、フランス人にもあったヲタマインドが疼いて、関連するアートワークを松本零士に依頼。かくして異性人版松本零士ワールド全開のPV効果もあって、『Discovery』と、シングルカットされた『One More Time』も大ヒットとなった。2年後には松本零士の画業50周年記念作品でもある、アルバムをフィーチャーしたアニメ映画『Interstella 5555: The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem』が公開された。
一時休止を経てコンスタントに音源を発表し続け、ついには映画『トロン: レガシー』のサウンドトラックを担当することとなった。